謎のアニメ感想家(笑)、翼の騎士トーノZEROのアニメ感想行ってみよう!
今日のマシュマロ通信の感想。
サブタイトル §
最終話 「幸せの鐘を鳴らそう」
あらすじ §
ミモザ先生の結婚式の当日。
相手のライオネルが行方不明になっていてまだ来ません。
サンディ達は、ライオネルを探しに行きます。
ライオネルの顔を良く知らない彼らは、燕尾服の男を探します。
式場を目指す燕尾服の男を確認します。クラウドは彼らの車に乗ってしまいます。
しかし、今度はサンディ達が間に合いそうにありません。指輪を預かっているサンディが戻らないと式ができません。
ヒッチハイクを試みますが、上手く行きません。
最後に来たのは、バイレットの車でした。サンディはプライドを曲げて頭を下げ、指輪と仲間を乗せるように頼みます。しかし、指輪だけがバイオレットに手に移動し、車に乗ろうとしないサンディに仲間達は同調します。
丁度バスが来て、サンディ達は移動を開始します。
燕尾服の男を見つけてサンディ達はバスを降ります。しかしそれは人違いで、本物のライオネルは燕尾服を着ておらず、入れ違いにバスに乗り込みます。
ウサギイヌがサンディ達の財布を盗みます。ウサギイヌを追いかけるとそこは式場でした。そこにはクラウドもいて、ミモザ先生は式を始めないでサンディ達を待っていてくれました。
式の途中で、指輪が落ちてしまいます。ライオネルはそれを追いかけます。
感想 §
おお、これは!!
最終回だし、結婚式の話なので、ストレートにしっとりと終わるのかと思いきや。
やはりただでは終わらないのがマシュマロ通信ですね。
サンディ達が花婿を捜す話として始まったはずなのに、途中でサンディ達自身が結婚式に遅れそうになるという話にすり替わります。しかも、指輪はサンディに預けられたままで、式が始められないという可能性すらあります。
つまり、他人のために一肌脱ごう、という話だったはずが、途中で自分たちのせいで指揮がぶち壊しになるかもしれないという話にコロッと入れ替わるのです。
実に見ていて面白いですね。
そして素晴らしいのは、バイオレットに頭を下げるサンディ。
サンディというのは彼女なりの筋の通し方を知っている少女ですね。放送部とマシュマロ通信が対立した時、けしてサンディはバイオレットに頭を下げません。それは、サンディという人物が背負っているものが、いわばマシュマロ通信の看板であり、そして一緒に活動する仲間達だからでしょう。その背負ったものがあればこそ、サンディは引くことができません。しかし、今回に関してサンディが背負った責任はミモザから指輪を預かったことにあります。達成されるべきことは、自分が背負った看板を守ることではなく、ミモザの式が滞りなく進むことにあります。であるならば、サンディはミモザのために頭を下げることができます。もちろん、それは気持ちの良いことではなく、指輪は託しても自分はバイオレットの車に乗ろうとしません。苦渋の選択でしょう。しかし、そうだとしても、サンディは自分なりの筋の通し方を貫徹したことになります。
これは、とても良いことですね。
更に感想 §
「ノーグー」というグースの台詞が良かったですね。いつもは「グー」しか言わないのに。
車から降りるバイオレットの足は、最初、リリーかと思いましたよ。あまりにスマートすぎて。
ウサギイヌを追って走ることで何とか式場に到着できてしまう、というのも面白いですね。それで、サンディ達は大きな疲れを見せません。若さですね。
ミモザ先生、スマートで良いウェディングドレスですね。いわゆる普通のみんながイメージする華美なウェディングドレスではないところがオシャレで良いですね。
今回の名台詞 §
サンディ「こうなったら私たちもヒッチハイクよ!」
いいなぁ。これこそが、サンディですね。
シリーズを通しての感想 §
一言で要約すれば、オリジナリティが高く先が読めない作品でした。
それゆえに、退屈することは全くなかったと言えます。
内容的にも、泣いたり笑ったり驚いたり、良いエピソードが多かったと思います。
キャラクターも、みな良い子達ですね。みんな大好きです。
デザイン的にも目の形が独特で、魅力があったと思います。
惜しむらくは、別の意味でオリジナリティの高い傑作、レジェンズの裏番組にあたってしまったこと。これで、本来ならこの作品を見て魅力に開眼する可能性を持った視聴者が、減ってしまった可能性があると思います。
それだけが残念ですね。
いや本当に。
残念なのはそれだけです。
デザイン的な独特の味も良ければ、シナリオも良くて、本当に良い作品でした。
1つだけ付け加えておくと。OPのフリスビーは、こうやってスタイリッシュに遊ぶのだという提案になっているようで、これは大きな価値があったかもしれません。映像作品が、「こうやって遊ぼうぜ」あるいはもっと大きく「こうやって生きてみようぜ」という提案になっていることは、実は見落とされがちな大きな価値かもしれないと最近思います。
それを考えると、この作品は、生き方の提案にも充ち満ちています。サンディのような生き方もあれば、ジャスミンのような生き方、ナッツのような生き方、いろいろな生き方が提案されているようにも見えますね。これは大きな価値だと思います。